40歳女 「明日死のう」で2児の母になれました

40歳女 「明日死のう」で2児の母になれました

私は25歳頃、仕事が続かず、社会の中でどう生きていけばいいのかわからなかったことから、うつ病になりました。

当初は自分では、うつ病とは気づいておらず、でも毎晩「明日の朝を迎えることなく、そのまま死んでしまえばいいのにな」と思ったりしていました。

うつ病だと気づいたきっかけは、同じように生きることに不安を感じていた友人に、「死にたいって思うことある?」と聞かれ、「あるよ」と答えたところ、「それきっと、私と同じ病気かもしれないよ」と言われたことでした。

彼女は、以前から精神科に通院していて「気分変調性障害」と診断されていました。

他の人に受診を勧められていたら、反発する気持ちを抱いていたかもしれませんが、彼女は自分にとても近いところにいてくれた人だし、すでに通院しているということもあり、素直に受診してみようという気持ちになりました。

受診して、自分の気持ちを伝え「うつ病」と診断されました。

私はそれまでみんな誰もが「死にたい」と思いながら生きているのだろうと思っていたので、「死にたい」と思うこと、そういう気持ちになるということが病気であるという認識がなく、少し驚きました。

でも、病気のせいでこういう気持ちなのだと思うと、自分がダメなわけではないのだと思い、ちょっと前向きな気持ちになれました。

しかし、その後の通院では、ルボックスなどの薬物療法が中心で、あまり改善した気持ちになりませんでした。

最初の数週間こそ、薬のおかげで気持ちが明るくなったように思いましたが、その後はあまり改善せず、薬の量もどんどん増えていきました。

その間も、仕事を転々として、新しい仕事が決まっても、そこでうまくなじめず、すぐにやめてしまうことを繰り返していました。

そして、そのたびに自分はうまく社会とやっていけないダメな人間なんだと思い、傷ついたり、自己嫌悪に陥っていました。

回復のきっかけになったのは、自分を理解してくれる職場に出会えたことだと思います。

決して、優しいだけの職場ではありませんでしたが、言われたことは一度で覚え、同じことは2度は聞かないなど、そういう私の生真面目なところを受け入れて、評価してくれた職場でした。

仕事が続けられるようになったことで、だんだん自分に自信がもてるようになり、薬を減らしても大丈夫になっていました。

33歳になったころには、完全に薬がなくても生活できるようになり、そのとき、もう自分はうつ病じゃないんだと、ほっとしたようなうれしいような気持ちになりました。

うつ病が一番ひどかったときは、毎日のように「死にたい」「どうやって死のうか」ということばかり考えていました。

うつ病になったことがない人は、死ぬことはたやすいことではないと思っているかもしれませんが、うつ病の人にしてみれば、生きることがつらいので、そこから逃れるために死ぬことなんてたやすいことだと思います。

私が死なずに済んだのは、「明日死のう」と決めたからだと思います。

「死にたい、こんなにつらいから明日死のう」と決めると、明日で死ねるんだ安心します。

そして、明日になったら、また「明日死のう」、そのまた明日になっても「明日死のう」。

そうやって、自分をだまして、死ぬ日を先延ばししていくうちに、だんだんと2日後、1週間後、1か月後のことを考えられるようになっていきました。

今の、一番つらい状況を脱するまで、「明日死のう」で乗り切ったから、私は今、人生をそれなりに楽しく生きることができています。