58歳男性 服薬諦め半分というか、うまく付き合うというか

58歳男性 服薬諦め半分というか、うまく付き合うというか

生まれも、育ちも神奈川県の50代、男性です。

普段は、社交的で、ユーモアもあると人からは思われています。

実は、高校の時、体育のプールの授業が嫌で、サボる。

昼はゴロゴロして、夕方から活動するというような生活をしていた頃があります。

大学は、六大学に一浪して入学。

でも授業で、ソフトボール。

大学に来てまで、苦手な運動をしなければならないのか。

人との交流でも孤立。

今でも、大学生活の違和感をハッキリ覚えています。

あるサークル活動に数ヶ月没頭。

そのせいか、どうか燃え尽きたように、家で数ヶ月、ほとんど寝ているような時間を過ごしました。

結局、布団の中の私に、母が「大学はどうするの」「やめたい」全部、母が後始末をしました。

心配した叔父に、東京のある病院に連れていかれました。

1980年代のことです。

今のような、「うつ病」という診断もなければ、薬もない。

たった一度、そこに行ったきり。

落ち込んだり、浮かんだり、20代初期は地獄のような日々でした。

落ち込むところまで落ち切って、「どこか遠くに行きたい」布団から出て、ここから遠いところに行けば何かが変わるかもしれない。

そんな思いにかられました。

当時は、アルバイト探しは「学生援護会」だったか、そんな名前の雑誌しかありませんでした。

住み込み。

苗場。

ワンシーズン。

スキー場ロッジ。

「これだ」と飛びつきました。

今も交流がある友にも恵まれました。

そいつの紹介で東京の有名レストランでアルバイトをするようになりました。

青春を謳歌するというか、女性とも付き合ったり。

昭和から平成になり、私も30歳になり、正社員で都内の会社に入りました。

母から「今度は、キチンとした会社なんだから続けるんだよ」と言われました。

でも本当の意味での「メンタル」の問題は、解決できてませんから、数ヶ月に一週間は、ダウンしてしまう。

普段の私は明るく楽しいイメージなので、サボって休んでいるとしか思われなかったようです。

それで、職を転々と。

その頃から、派遣というのが始まりました。

正社員でなければ、仕事はありました。

転機が訪れたのは、ネット検索でした。

地元、メンタル。

キーワードで、近所に精神科のクリニックが出来たことを知りました。

そこで生まれて初めて「あなたは、うつ病です」と言われました。

すごく嬉しかった。

性格のせいでなかったんだ。

サボり癖でなかったんだ。

私は病気なんだ。

自分のことを認められた。

薬も出されて、何年も通いました。

ただ、今でも後悔していることが一つ。

結構、本を読むほうなんです。

アメリカ人が書いた分厚い「認知行動療法」をアマゾンで購入。

熟読し、実践しました。

「歪んだ認知」が問題なんだ、と、薬をやめてしまいました。

一年後。

「死にたい」そこまで落ち込んでしまいました。

幸い、同じドクターが近所にもう一つ診療所を新設していたので、歩いて駆け込みました。

それ以来、数年薬は続けています。

それでも、数ヶ月に一度ダウンします。

記録を残すクセがあるので、よく読み返します。

ちょっと調子が良くなると、あれこれやりたいことを詰め込んでやる。

コンを詰める。

ストレスになる。

ダウンする。

それとそういう時は、決まって睡眠時間が、6時間を切っています。

薬は自己判断で止めるのは、厳禁です。

あとは、ムリ禁。

何とかそれでバランス取りながら生きています。